ゴルファーなら1度はラウンドしてみたいと憧れる、マジェスティオーナーズクラブのコンペの開催場所としても知られるコースを詳しく紹介!今回は我孫子ゴルフ倶楽部の2回目!

戦後のプロゴルファー活動の先陣を切ったのは我孫子GCだった。

終戦後の昭和21年10月7日に、南方戦線から復員した山本増二郎プロがプロ室の入り口に「関東プロ協会」の看板を掛けて活動を開始したからだ。当時のプロ会員は僅か18名だった。月例競技も行われ優勝者には米1俵、もしくは豚1頭という副賞が出た。昭和24年になると、世の中が落ち着き始め戦後最初の日本プロ選手権が行われた。その舞台は我孫子GCだった。

 多くのプロに影響を与えたが、なかでも後に大活躍したのが青木功プロだった。我孫子で育った青木は14歳の時、同級生で後にプロになる鷹巣南雄と我孫子でキャディのバイトを始めていた。

そのような背景を持つ我孫子GCは、ある意味ゴルファーの憧れのコースでもあった。

 最初に訪れた時は「あの青木プロが研修生でいたコースなんだ」という思いの方が強かったと記憶している。当時の印象は、きれいな林間コース、バンカーは深くグリーンは小さいというものだった。ブライアン・シルバによる改造後はその印象はなく、前よりも広くなったという方が強かった。

画像: 大きな谷が2打目の距離感を狂わせる11番ホール。グリーン周りのバンカーもかなり効いている

大きな谷が2打目の距離感を狂わせる11番ホール。グリーン周りのバンカーもかなり効いている

 印象に残ったホールの中に11番ホールがある。距離は401ヤードのパー4だ。

改造前は確か403ヤードだったと記憶している。2グリーンが1グリーンになったことでターゲットがより明確になり、集中してピンだけを狙えばよくなったのは嬉しい。この11番ホールには以前から大きな谷があり、2打目の距離感を把握するのが難しいと思う。ほぼフラットなフェアウェイでは、感じたままの距離感で打つことができるが、手前に谷がある、大きなハザードがある、もしくは斜めに打っていかなければならない、などの要素が絡むと人は錯覚し易く、その分ミスする可能性は高くなる。このホールは飛距離よりもコントロールが求められ、ドライバーを振り回すよりも、フェアウェイウッドで堅実に攻めるべきだろう。

 グリーンの左に1個、右には2個のバンカーがあり、いずれもミスをすれば容易に入ってしまうようにされている。レギュラーからは371ヤードだから、距離的にはさほど難しくないホールでもある。グリーンに向かって大きく抉られているような谷が印象に残ったホールでもある。

解説/吉川丈雄

 

我孫子ゴルフ倶楽部

千葉県我孫子市岡発戸1110
18H/6923Y/P72 開場/昭和5年 設計/赤星六郎

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