ゴルファーなら1度はラウンドしてみたいと憧れる、マジェスティオーナーズクラブのコンペの開催場所としても知られるゴルフコースを詳しく紹介! シリーズ2回目は琵琶湖カントリー倶楽部!
画像: 琵琶湖コース6番グリーンからの眺め。設計は富澤誠造

琵琶湖コース6番グリーンからの眺め。設計は富澤誠造

【コース情報】
琵琶湖カントリー倶楽部
滋賀県栗東市御園513
9H/3561Y/P36(栗東コース)
9H/3434Y/P36(三上コース)
9H/3349Y/P36(琵琶湖コース)
開場/昭和34年11月
設計/富澤誠造 改造/グレッグ・ノーマン(琵琶湖コース)

昭和32年、霞ヶ関CCでカナダカップが開催され、中村寅吉、小野光一プロが団体優勝をし、中村は個人でも優勝を果たした。この快挙にゴルフブームが沸き起こり、全国各地にコースを造ろうという機運が高まっていった。

 そんな背景があった昭和33年、ヤンマーディーゼルは滋賀県栗東町の要請でゴルフ場建設を計画。土地代は800万円だった。ところがヤンマーディーゼルの創業者・山岡孫吉はゴルフに対してそれほど理解を示していなかった。そこで一計を案じたスタッフは、山岡を車に乗せ建設予定地を走りながら「山の起伏といい、相といい抜群、100円なら話がまとまる」と山岡に告げ「まあよろしかろう」という山岡の言葉を聞くとすぐさまゴルフ場建設の手続きを開始。

コースを設計したのは富澤誠造だった。富澤は、昭和25年ゴルフ場建設を得意とした安達建設設計部に入った井上誠一の下で、昭和27年開場の川崎国際CC(現・川崎国際生田緑地ゴルフ場)の造成監督として働き設計を学んだ。富澤は昭和32年千葉CC川間コース、翌33年には高坂CCの設計をし、息子の富澤廣親とともに生涯100コース以上も手掛けた人気コース設計者だ。

 昭和34年11月に栗東コースの9ホールが完成し、仮開場が行われた。

コースが造られたのは、程よい起伏を持つ丘陵地で1年後に琵琶湖コースが完成し18ホールの規模になり本開場となっている。琵琶湖コースからは比叡の山並み、眼下には琵琶湖が望めた。

 栗東コースは、老松でセパレートされほぼフラットで雄大さがあり、琵琶湖コースの距離はやや短めだったが各ホールとも変化があり、当時の栗東・琵琶湖でのコースレートは72.7だった。いずれの9ホールも松でセパレートされ趣のある仕上がりだった。

 昭和43年9月になると、バンカーが多く戦略性の高い三上コースが完成して27ホール規模のコースになっている。

 昭和38年、早くも日本プロゴルフシニア選手権の会場となり、関西の上田悌造プロが勝利している。平成5年には日本オープン選手権が開催され奥田靖己プロが勝ち、記憶に新しいところでは令和3年の日本オープン選手権では南アフリカ出身、日本ツアーで活躍しているショーン・ノリスが制した。この時は、琵琶湖コースと三上コースが使われ全長6986ヤード・パー71で戦われ、ノリスの優勝スコアは通算19アンダーと記録的だった。

 女子ツアーの競技も行われ平成11年日本女子プロ選手権(優勝/城戸富貴)、26年には栗東コース・三上コースを使って日本女子オープン選手権が行われ、

優勝は台湾出身のテレサ・ルーで通算8アンダーだった。

このほか、アジアパシフィックオープンも行われ平成23年に平塚哲二が優勝をしている。開催されてきた多くの競技、特に男子ツアーでは栗東コースと三上コースの組み合わせで戦われ、その場合の全長は6950ヤード、コースレート74.1と高い難易度で戦われた。

解説/吉川丈雄

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